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楽しむ「才能」

「仕事」に対する価値観について、昨日すごく興味深い話を聞けた。

仕事で得られるものは「お金」だけではない。
どういう価値を見出すかということ。

当然、やるからには、その時間を充実したものにしたい。
どんなことでもプロフェッショナルにはなれる。
やりがいは見出せる。

自分自身の成長。
視野の広がり。

いろいろなものに触れて、新たな物に出会い、自分が変わっていく。
それが実感できたとき、お金以上のものを手に入れられたのだと思えるのだろうか。

自分が働きやすいような環境を作っていくことも、仕事をする上で大事な「仕事」。
人を育てることも、大事な「仕事」。

仕事行ってのは、与えられたものだけじゃなく、それをどうこなすか、どう生かすか、どうやって自分のものにして行くか、というところに価値があるのかな。

だから、新たなことや新たな環境にチャレンジするのは、すごく価値があるって。

でも、そうやって言い切れるその人は、どんな環境でも、状況でも、それを楽しめる「才能」があるんだろうな。
そうやろうと思ったって、やってみたって、どう思えない人もいるはずなんだ。

やろうと思うことじゃなく、やっていることが自然にそうなっていることこそ、その人の才能なんだって思った。

4月からのことを考えて、やっぱりすこし不安になったりするから、そういう話を聞けてすごくよかった。
前向きに考えられそうなキッカケをもらった気がする。
# by sozinho | 2008-02-17 19:02

「聞く耳」を持つ。

どんな言葉に耳を傾けるべきだろうか。

いろんなひとが、さまざまな価値観でものを言う。
当然、それはそのひとの自由。

でも、それにすべて付き合っていては、とてもじゃないけど消化しきれない。
大切なのは、それが大切な言葉なのか、それtも雑音なのかを聞き分けること。

ひとを批判するのは簡単だから、傷つけるために発せられた言葉なんて、意味はない。
お世辞だってそう。

だから、自分のためを思ってくれる人の言葉を大切にしようって思うんだ。
よい言葉には自信を持とう。
たとえ厳しい言葉でも、しっかり受け止めよう。

いつか見返そう、なんてこと自体必要ないよね。
だって、目指している場所が全く違うのだから。

もちろん、立ち止まってなんていられない。
もっと先を見つめて歩いて行くんだ。
# by sozinho | 2008-01-12 23:26

強くなる。

今年の目標は、強くなる、こと。

わざわざ新年だからどうこうということに、あまりこだわりはないのだが、それでも「キッカケ」とするには、よい区切りかもしれない。

気持ちの面で。

弱い自分を隠したり、逃げたりするのではなく、そういう自分に向き合って強くなる。
不安も正直に感じ、それでもそこから前へ進む道を見つけ出したいということ。

4月からの生活に、未だ不安を感じている。
日々、いろいろなことを考えてしまう。
しかし、これが自分の性格なのだ。
そう割り切って、向き合っていこうと思う。

正直、教員という仕事にはあまり興味がない。
どちらかというと、というか、確実に「生活の手段」という位置づけである。
そのため、その仕事に追われてしまうということが不安なのだ。

それでも、やると決めたからには、前に進むしかない。
やってみて、それで「どうだったか」ということが大事なのだろう。

当然、合わない可能性もあるし、逆に新たな発見でやりがいを感じられる可能性もある。
また、専任という今までとは違った「責任」ある立場だからこそ、自分の力で変えて行ける可能性も十分にあるだろう。

授業にしても、独自色をどんどん出せる場である。
楽な方へと考えるより、自分が楽しんでできる環境を作ってしまえば、もう負担ではないはず。
課題や取り組み方を研究する価値はおおいにある。

サッカーについては、関われるかどうかの保証はない。
しかし、焦ることもないと考えている。
いきなり飛び込んで、いっぱいいっぱいになってしまうより、少しずつ関わっていく方が自分のペースも作りやすい。

必要とされてこそ、自分の意見も聞いてもらえる。
だからこそ、聞かれたら答える、という姿勢が大事なのだ。

できる仕事は率先してやる。
しかし、抱えこまない。
頼まれ事は、即答せずによく考えてから、可能であれば引き受ける。
無理であれば、しっかりと断る。

自分にとって、いままではサッカーが一番大切なものであった。
これからもそれは変わらないだろう。
しかし、それだけに関わっていける環境ではないところへ行くのだ。

多くの、別の要素も考えて出した結論。
たくさん悩んだ末の結論だから、やってみる価値はあるのだと思う。

自分が成長するために、自分の未来のために、新たなチャレンジだと考え、進んでいこう。
サッカーに関わっていく「ひとつの」選択肢ではあるわけだから。
# by sozinho | 2008-01-10 22:18

サッカーをするワケ

選手はなぜサッカーをするのであろう。
理由は、目的は、何であろう。

うまくなり、思い通りのプレーをする。
それによって、サッカーを楽しめる、ということではないだろうか。

その先の結果が、「活躍」であり「勝利」なのであって、「勝利」のためにサッカーをやっているのではない。
そこを間違えてしまうと、どんなことをしても勝てばOKとなってしまう。

もちろん、選手によって価値観はさまざま。
どんなことをしても勝ちたい、と思う選手もいるだろう。

であれば、手段を選ばず勝負に徹するサッカーになる。
果たして、それがサッカーと呼べるかは別にして・・・。

試合は、練習してきたことを試す場である。
ということは、練習でやってきたこと=自分たちのやりたいことでなくてはならない。
練習でさえもサッカーを楽しめないような場であれば、試合で楽しめるはずもないのだから。

選手がうまくなること、そのためのサポートこそがコーチの一番大切な役割。
決して、「勝たせること」が役割ではない。

何のために選手がサッカーをやっているか、そこをもう一度見つめなおさなければならない。
# by sozinho | 2007-06-28 22:27

代表レベル?

昨日の代表戦、高原のゴールについて、駒野のクロスが絶賛されていた。
だが、それ以前もマイナスに外れまくったクロスなど多く、正直、あれだけ放り込んでいれば1つくらいあたらなくてどうする?といった印象であった。
持ったらクロス「しか」ない選手である。
当然、相手DFも「読める」はず。
あのレベルならそれでも良いのだが、相手がCBの強い世界レベルのチームならことごとく跳ね返されて終わっていただろう。

よっぽど、後半から出場した水野のほうが、多くの可能性を持ったプレーをする。
「どんどん自分から仕掛けることが出来る選手ですね」という解説者のコメントは、駒野のプレーに物足りなさを感じていた証拠だろう。

ただクロスだけ蹴り上げている選手が、dぴして代表レベルなのだろうか?疑問が残る。

もうひとつ。
後半、高原のスルーからケンゴのシュートシーン。そのとき、左サイドにはフリーで山岸がいた。
そのプレーが終わった後、オシムのコメントのリポートが入ったのだが、そのリポーター、レベルの低さが現れていた。

オシムが「パスを出せ」と言っていた?
そうではないだろう。
言いたかったのは山岸が「見えていたのか?」ということではないか。
見えていて、シュート判断であったのか、見えずに打ったのか。
そこはサッカー選手として大きな違い。

その言葉の意味も分からず、ただ「パスを出せ」という低脳なリポートしか出来ない「元日本代表FW」。
解説とは、直訳ではなく、その背景にある考えを「解説」してほしいということ。
見たまま、聞いたままを伝えるのなら、アナウンサーに任せておけば良いのだ。

肩書きなどどうでも良いから、もう自分の考えているレベルの低さを知って欲しい。
まぁ、知っていればはずかしくてメディアに魂など売れないだろうが・・・。

大事なのは、選手の判断。
それも、その場面で一番良いと思われる判断をする、ということ。
それがクロスなのか、シュートなのか、ドリブルなのか、それは選手にしか分からない。
しかし、その「判断」こそが、選手の「サッカーの上手さ」を決めて行くのではないだろうか。

いつになれば、本当の「代表レベル」は現れるのであろう。
中田が去った今、期待を持てる選手は正直見当たらない・・・。
# by sozinho | 2007-06-02 22:33