選手時代には感じられなかった多くのことを、コーチになってから感じている。
それは、客観的にサッカーを捕らえられるようになったからでもあろうし、年齢から来る余裕もあるだろう。
選手には選手にしか得られないものが、コーチにはコーチにしか得られないものがある。
それは、喜びであったり、感動であったり、もちろん苦しさや辛さだってそう。
だが、忘れてはいけないことがある。
それは、選手時代の想い。
何を考え、何を感じ、何を欲していたかということ。
サッカーは、やはり選手のもの。
間違っても、指導者や親や、周りのものではない。
もちろん、サッカーをする上では多くの人の助けが必要となる。
だけど、やっぱりサッカーは選手のもの。
昨日はクラブチームのOBが高校卒業を機に集まってくれた。
中学3年間、サッカーを共有してきた仲間。
高校では、それぞれの道を歩みながら、サッカーに関わっていた。
その選手たちと、同じグランドで選手としてボールを追った。
後輩相手に勝負こだわり、激しくもフェアに、そして何よりもサッカーを楽しんだ時間だった。
進路もそれぞれで、サッカーを続けていく選手、そうでない選手、さまざまだ。
ただ、高校でサッカーを嫌いになってしまった選手がいたことは、サッカーに関わる身として非常に残念である。
あれだけ楽しそうに、サッカーをやっていたのに。
それは高校サッカーがまだ勝利至上主義によって行われている現状と、教育機関とサッカーの両立の限界でもあろう。
大事なのは、サッカーを好きでいること、サッカーを楽しめること。
その上で、勝利を追及していくからこそ、サッカーは魅力的なんだと思う。
全国大会に行ったチームの選手でさえ、もう辞めたい、と思っているのだという。
プロに行く選手でさえも。
それは、サッカーが嫌いと言うよりは、その環境が問題なのだろう。
やらされているサッカー、押し付けられるサッカー。
だからこそ言いたい、サッカーは選手のものでは?
目先の勝利や成績にとらわれすぎる指導者の犠牲になっている選手が、何人いるのだろう。
上手いからえらい?下手だからダメ?
人間性までも否定されるものではないはずだ。
その選手にあった取り組み方、追求の仕方があるはずで、どうやって選手自身が自分に向き合って関わっていくのか。
学校の部活動だからこそ、そういったことが出来るのではないだろうか?
多くの選手がサッカーを大好きなまま大学や社会に出て行ければ、もっともっと社会的地位も上がるはず。
皆がサッカーを楽しめれば、それだけで環境は増え、機会は増え、そういったなかで、本当に才能ある選手たちが生まれてくるのではないだろうか。
選手を作り出す?育てる?のは、クラブチームの役割である。
人を育てることこそ、学校教育というなかに置ける部活動の役割ではないだろうか?
現実的に、人数のもんだいなど厳しい部分もあるが、だからこそ、サッカーに関わる役割分担を明確にし、選手の育成だけでなく、サッカー界全体の発展を考えていかなくてはならない。